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日タイビジネスフォーラム (JTBF)

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タイ国に駐在経験のある日本人ビジネスマン(現役&OB)が個人の立場で参加しています。これまでの日本・タイ国両国におけるビジネス経験を生かし、両国間友好関係の促進に寄与したいと考えています。


sketched by H. Murata
Kamthieng House museum, Bangkok


リレーエッセイ 第32回配信

2025年05月01日配信
JTBF 広報委員会

JTBFリレーエッセイ(2025年6月分)

この度、リレーエッセイに寄稿させて頂くことになりました加藤と申します。JTBFに参加させて頂いてからまだ1年経っておらず、多くの会員の皆さまに未だご挨拶もさせて頂けていない新参者ですが、今回ご指名にて寄稿させて頂きますことお許しください。

自己紹介的になりますが、私は昨年3月末まで3年間タイに駐在し、所属会社の社業に加え盤谷日本人商工会議所やタイ貿易院(Board of Trade of Thailand)、泰日協会、同日本人学校、日本人会など、様々な団体の活動を通じて多くの日本およびタイの方々と交流させて頂く貴重な機会を得ました。

今年
2月にはJTBFの訪タイミッションに参加させて頂き、かつてタイ駐在時にお世話になったタイの方々との再会もあり、微力ながら日本とタイの関係強化に貢献させて頂きたいと改めて思った次第です。折しも活動内容や会員資格の見直しなどを通じ、JTBFを永続性ある組織へと転換を図っておられる時期とのことで、自身と同じ時期にタイ駐在を経験された方々にもJTBFへの参加を呼びかけさせて頂ければと思っております。

さて、昨年帰国してあらためて感じたのは訪日タイ人の数の多さと行先の多様性です。タイ駐在期間中タイ語を少し習得したこともあり、街中のあちらこちらでタイ語が聞こえてくるとついそちらに耳が向くようになったこともありますが、2023年以降訪タイの日本人数を訪日のタイ人の数が上回ったと聞いてはいたものの、こんなところにまでと驚くほどにタイの方は日本のいろいろな場所を調べ実際に訪れておられますね。

今年2月、浜松に所用があった翌日の午前中、天竜二俣(浜松市天竜区)の方まで足を延ばしてきました。同所は天竜川が山地から遠州平野に出る扇状地の頂点に位置し、二俣城跡や本田宗一郎ものづくり伝承館などがあり、JR浜松駅からは近接の遠州鉄道新浜松駅から終点の西鹿島駅まで行き、接続する天竜浜名湖鉄道(通称:天浜線)に乗り換えて行きます。天浜線は昭和10年開通の旧国鉄二俣線が前身で、当時からの転車台や駅舎・プラットホーム等が国登録有形文化財に登録されるなど沿線風景含め趣のある鉄道です。

昼過ぎ
JR浜松駅に戻るべく、1両で運行する天浜線のディーゼル車に乗ると乗客は私を含め6名、うち4名が乗り換えの西鹿島駅で下車しました。乗り換え通路でふいにタイ語の会話が聞こえ、見れば一緒に下車したうち二人連れは20代前半くらいのタイ人の男性のようです。そしてその2人は私同様に、遠州鉄道の新浜松駅行き電車(こちらは4両編成)に乗り込みました。こんなところで観光ですか?次はどこに行くのですか?など、拙いながらもタイ語で話しかけようと頃合いを見計らっていたそのとき、彼らは西鹿島から二つ目の駅で降りていってしまいました。えっ、こんなところで…? 

おそらく彼らは観光ではなく、勉学や就業などでそれなりの期間こちらで生活しているのでしょう。思えば西鹿島駅では日本人でも知らないと戸惑う無人の乗換口を、交通系カードを使って慣れた感じで進み、あたりをキョロキョロ見回すこともなく終始落ち着いた乗り換えだったな…。

タイ人は珍しいところまで観光に訪れるという自身の先入観の的外れを恥じると同時に、彼らに声を掛ける機会を逃してしまったことを大いに後悔しました。生活しているのならなおさら、日本の生活はどうか、困っていることは無いか尋ねてあげたかったし、タイ語を少し解する日本人がいることを知ってもらい応援のエールも送りたかったな、と。

地政学的に非常に流動的な現代にあって、奥ゆかしく融和的で日本に対する好感度が非常に高いタイの人々に、引き続き日本のファンで居続けていただきたい。JTBFでの活動を通じても、タイに何かしら恩返しができればと思います。今後ともよろしくお願いいたします。


加藤丈雄(元泰国三井物産株式会社 社長)


※本エッセイは2025年6月掲載分として執筆されたものです。