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日タイビジネスフォーラム (JTBF)

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タイ国に駐在経験のある日本人ビジネスマン(現役&OB)が個人の立場で参加しています。これまでの日本・タイ国両国におけるビジネス経験を生かし、両国間友好関係の促進に寄与したいと考えています。


sketched by H. Murata
Bang Khun Thian sea view, Bangkok


リレーエッセイ 第37回配信

2025年11月01日配信
JTBF 広報委員会

この度、リレーエッセイに寄稿させて頂きます大脇と申します。JTBF(TAT委員会)に数か月前より参加させて頂いたばかりで、多くの会員の皆様にご挨拶も出来ておりませんが、今後共何卒宜しくお願い致します。

私は2008年4月から約2年間、日本航空バンコク支店に駐在し、通常業務の他に盤谷日本人商工会議所、泰日協会、同日本人学校、日本人会などの活動にも参加し、日本およびタイの方々と交流させて頂く貴重な機会を得ました。

帰国後、10数年が経過しておりますので、至近の出来事でお伝え出来ることはありませんが、駐在中の思い出として強烈に残っている「スワンナプーム空港占拠事件」について触れさせて頂きます。

「スワンナプーム空港占拠事件」とは、2008/11/25〜12/3にかけて、スワンナプーム空港とドンムアン空港が、PAD(人民民主主義同盟/People’s Alliance for Democracy)と呼ばれる反政府デモ隊によって占拠された事件です。ご存じの通り、当時のタイ政治は、タクシン政権の汚職・独裁を批判する勢力と、農村を中心に支持するタクシン派の対立が大きな軸になっており、PADは当時のソムチャイ・ウォンサワット首相(タクシン・チナワットの義弟)が「タクシン派の傀儡だ」として、タクシン派政権の退陣を目的に占拠を行った訳です。

11/25、PADの数千人規模のデモ隊が滑走路や出発ロビーを封鎖し、占拠が収束する12/3までの間、バンコク発着の航空便は全て停止しました。タイの空の玄関口が完全に麻痺し、35万人以上の旅行者が出国不能となりました。12/2には憲法裁判所が与党・国民の力党の解党命令を出し、ソムチャイ首相が失職。これを受け、PADは「目的達成」として占拠を解除しました。この事件はタイ経済に約3,000億円規模の損害を与えたとされ、その後、タイ観光業・国際的イメージの回復には数年を要しました。

空港占拠中、JLは何をしたかというと、まずデモ隊が空港の制限区域に入り込んだことから、セキュリティ確保の観点でバンコク発着便全便の欠航を即日決定しました。(占拠中に私も空港に行きましたが、デモ隊が楽しそうにスピーカーから流れる大音量の音楽をバックに歌をうたっていました。人の気も知らずに…と思った記憶があります。)

その後数日間、空港再開の見通しは立ちませんでしたが、外国航空会社がパタヤのウタパオ空港(バンコクから約150km東。ベトナム戦争時の米軍の作戦基地で、B52等も利用)を使用する可能性があるとの情報を得ました。早速本社に確認したところ、JLはウタパオ空港をスワンナプーム空港の代替空港として認定しており、いつでも運航可能との返事でした。そこで、翌12/2から邦人帰国のための臨時便を運航することとしました。(空港再開までに計11便の臨時便を運航しました。)

ウタパオ空港は旅客施設が十分に整備されておらず、また、ウタパオへの交通手段も個人での手配が困難と想定されたため、バンコク支店があったナンタワンビルに臨時のチェックインカウンターを設置し、当方で手配したバスで空港までお客様をお連れするというオペレーションを数日間行いました。(因みに、当時ご搭乗されるお客様は、ナンタワンビルにあった和食レストラン「日本亭」をラウンジ代わりにされていたようで、後日、お店からお礼のご連絡を頂きました。)

日本大使館、タイ国政府に助けて頂きながらのオペレーションではありましたが、なかなか日本では経験出来ない出来事でした。

このような思い出のあるタイ国と、JTBFの活動を通じて再び接点を持てることになり、これからの活動を楽しみにしております。今後共宜しくお願い致します。

 

大脇正人 元日本航空バンコク支店 支店長